初夢には、いくつもの諸説がありました。
江戸の当時は四つの説がありました。
【1】節分の夜から立春の明け方に見る夢
当時は節分が旧年中に来てしまう事の方が多く、立春を迎えて春が立ちます。そして新春としてのお正月を迎えるということです。
だからこそ、初春ということになるのですね。
【2】大晦日の夜から元旦に見る夢
【3】元旦の夜から二日の朝に見る夢
【4】二日の夜から三日の朝に見る夢
どれが本当という訳ではありませんが、江戸中期以降に「落ち着いた二日の夜に、落ち着いて見た夢が一番ふさわしいのではないか」という事で、二日に落ち着いたらしいです。
また、この当時では「宝船売り」という七福神の乗った船を売る習慣が始まりました。
江戸っ子は良い初夢を見ようと宝船の絵を枕の下に敷いて寝たそうです。
江戸の人々の初夢に対する思い入れの強さが感じられますね。
■正月の江戸の姿■
江戸庶民達はお正月はたいへんのんびりとしていたそうです。
いわゆる「寝正月」というのがほとんどだったそうです。
吉原は年中無休でしたが、元旦だけは休みにしていました。
そして二日目に年令といって年始として門を開き、常連客だけが登楼することができました。
吉原の門松は、相当丈が高くできております。
松を真ん中にして竹で回りを囲んで竹の先を切り落とさず、伸ばすままにしておきました。生えるがままなので、二階の座敷から竹のさらさらという音が聞こえたそうです。
風流ですね~。
門松の竹は先が切られていますよね。
これは徳川家康が武田家との戦いの時に
「武田(竹)を斬る」ということから来たそうです。
杉浦日向子の大江戸お正月事情より
PR