そばの発祥地は中国西南部の雲南省付近で3千年前の縄文時代に中国より伝来、縄文時代の遺跡にそばの花粉が発見されている。本格的に食べるようになったのは江戸時代に入ってからのようです。今のように細長いそばは、享保の大阪で生まれ、江戸で育った庶民の味でした。享保時代は八代将軍、徳川吉宗の時代で飢饉が続き当時、救荒作物として栽培されていたそばを、粉にして水で捏ねて細切りしたそば切りが始まりだったようです。 当時のそばは、茹でたそばを竹ザルに入れ煮え湯をかけ冷めないように蓋をして水気をなくしてから出したようです。そばつゆも当初は味噌を水でゆるめ布袋に入れて垂らす垂味噌などを用いていた。醤油は高価だったので一般庶民が味わえるように寛政の頃からでであった。
享保15年大坂の砂場と言われる場所に店を開いたのが屋号和泉屋の津国屋でした。
大坂に始まった砂場の暖簾は20年後には江戸にも登場します。
江戸後期には1町1軒のそば屋があり合計3700軒余あったようです。大坂に源流を持つ砂場が栄え、更科が興り、幕末の頃には藪の御三家が人気を集めました。
御三家のそばの特徴は
砂場/白くて軽い食味で武家や寺社で贔屓にされた。
更科/上品な更科は白さと透明感がありほのかに甘く大名、大奥の女性に人気があった。
藪/濃い目のつゆと粋を売りにし二八そばで、町方や職人に好まれた。
参考資料/蕎麦年代記、蕎麦の世界、蕎麦辞典より抜粋
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