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(10/03)
プロフィール
HN:
白熊
年齢:
70
性別:
男性
誕生日:
1946/06/19
職業:
手打ちのそば屋
趣味:
料理づくりと食べること
自己紹介:
戌年の64歳のわがまま、自己中のおじさんです。
東豊線新道東駅徒歩3分の自宅を改装、手打ち蕎麦屋を開業し8月で満5年になります。
地場産品応援の店として「緑提灯」を掲げております。
モットーは「結果は努力に比例する」何事も手を抜かず一生懸命やる事といつも正直でありたいこと。
藪忠の店名について
店名の「藪忠」は藪そばの藪とまだまだ腕が「やぶ」と
名前の忠雄の忠をとって命名しました。
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手打ちそば処 薮忠のわがままブログ

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「更科」
『蕎麦全書』によれば、「甲州屋さらしなそば」と「斧屋更級そば」が載っている。
麻布永坂町に「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」が店を構えたのは、それより後のことでこの「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」こそ、現在の「更科」の総本家である。
ここの屋号は後にのれん分けされたお店でも、「布屋○○」と称している。
ここの蕎麦は太兵衛の領主であった信州の保科家との関係で大名屋敷に出入りし、その当時から高級なそば屋としての地位を確立していたようです。
特に四代目の時に将軍家御用達となったことから、以後は「御前そば」の名前も使われるようになった。これは上品な一番粉を使用し、真っ白なそば=さらしなそばを確立する。
明治以降「麻布永坂更科」は家の名前であった堀井を冠し「更科堀井」と称している。
明治時代には「御前そば」を改良し、皇室を始め華族の邸宅へも出前を届けるようになる。
各地に「更科」と称する店が増えたのもこのころである。こんな伝統を誇る名店も昭和16年に廃業してしまう。創業の血を引く堀井家八代目が「総本家更科堀井」の看板を掲げるのは昭和59年になってからである。「更科」がのれん分けして発展するのは明治以降のことで、築地の「さらしなの里」が明治32年。明治35年には「有楽町更科」が開店している。ここもやはり屋号は「布屋(源三郎)」。「有楽町更科」の流れを継いでいるのが「布恒更科」。屋号は「布屋恒次郎」。昭和38年に現在の大井で店を開いている。「更科」一門は変わりそばが有名である。さらしなに季節の食材等を練り込むのだから、それなりの技をもっており受け継がれている。
参考資料/蕎麦年代記、蕎麦の世界、蕎麦辞典より抜粋
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