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[03/22 watanabe]
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プロフィール
HN:
白熊
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1946/06/19
職業:
手打ちのそば屋
趣味:
料理づくりと食べること
自己紹介:
戌年の64歳のわがまま、自己中のおじさんです。
東豊線新道東駅徒歩3分の自宅を改装、手打ち蕎麦屋を開業し8月で満5年になります。
地場産品応援の店として「緑提灯」を掲げております。
モットーは「結果は努力に比例する」何事も手を抜かず一生懸命やる事といつも正直でありたいこと。
藪忠の店名について
店名の「藪忠」は藪そばの藪とまだまだ腕が「やぶ」と
名前の忠雄の忠をとって命名しました。
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手打ちそば処 薮忠のわがままブログ

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藪そば
全国には「やぶ」を名乗るそば屋がたくさんある。
「藪御三家」と呼ばれているのは東京の神田「やぶ」、並木藪蕎麦、池之端藪蕎麦の3店を称してといる。このうち神田やぶそばを本家として「藪睦会」なる暖簾会を組織している。
神田やぶそばの起こりは「団子坂藪蕎麦」というお店を明治13年に堀田七兵衛が譲り受けたことから始まるが、この名称も俗称で本当は「蔦屋」というのが正式な屋号だった。団子坂のあたりは竹「やぶ」が多かったので、いつしか「やぶそば」となった。明治の頃の「やぶそば」はとても広い敷地を有し、1600坪もあったとの事。だから前庭には崖や滝が配置されていたという。ところが、「団子坂藪蕎麦」は明治39年に突然廃業。このとき「藪蕎麦」の看板を受け継いだのが「神田やぶそば」。大正12年の関東大震災の折りにはお店は消失したものの、同年中に(ということは9月1日の震災後、3ヶ月で)再建。現存する建物もこのときのもの。
「並木藪蕎麦」は堀田七兵衛の三男・勝三が京橋にのれん分けをして始めたお店で大正2年に浅草の現在地に移転。並木の由来は当時の地名が「浅草並木町」だったことによる。
池之端藪蕎麦は「池之端藪蕎麦」は勝三の三男・鶴雄が昭和29年に開業したお店。
祖父=神田やぶそば、父=並木藪蕎麦、子=池之端藪蕎麦という関係になります。
参考資料/蕎麦年代記、蕎麦の世界、蕎麦辞典


参考資料/蕎麦年代記、蕎麦の世界、蕎麦辞典より抜粋
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