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[03/22 watanabe]
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プロフィール
HN:
白熊
年齢:
78
HP:
性別:
男性
誕生日:
1946/06/19
職業:
手打ちのそば屋
趣味:
料理づくりと食べること
自己紹介:
戌年の64歳のわがまま、自己中のおじさんです。
東豊線新道東駅徒歩3分の自宅を改装、手打ち蕎麦屋を開業し8月で満5年になります。 地場産品応援の店として「緑提灯」を掲げております。 モットーは「結果は努力に比例する」何事も手を抜かず一生懸命やる事といつも正直でありたいこと。 藪忠の店名について 店名の「藪忠」は藪そばの藪とまだまだ腕が「やぶ」と 名前の忠雄の忠をとって命名しました。 ブログ内検索
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22年間パソコンをしてますがはじめての経験でした。使っていないキーボードを取り付け再度データーを打ち直しました。最近では、内部に水が溜まらず排水できるキーボードがあるようですが、私のは内部に水が溜まってしまう古い構造でした。排水の仕組みがあるキーボードは、こういうときに安心ですね。 そんなわけで仕込が1時間遅れてしまいました。 PR 札幌市の昨日現在の累計降雪量は252cmです。今朝も降っているので280cmぐらいでしょう。昨年は320cmなので来週には追いつきそうです。
藪忠の駐車場はロードヒーテングにしてますが灯油が高騰しており、まともにヒーテングすると月10万円の灯油代がかかるので人力で除雪しています。 駐車スペースは3台プラス車庫前1台の計4台あり、雪かきも結構な重労働です。大雑把に自分が雪かきをして仕上げは家内がこまめにやっています。せっかく綺麗になった後、真夜中に市の除雪車が大量の硬い雪を間口10数メートルにわたり置いていくので怒り心頭です。何とかならないの市役所の旦那・・・・ BS12チャンネルの中国麺ロードをみた。
中国各地には、数え切れないほどの種類の麺がありる。 作り方を見てみれば、両手で引っ張る「拉麺」、包丁で切る「切麺」、練った小麦粉を刀で削りとる「刀削麺」、指先でひねり出した形が猫の耳に似ている「猫耳朶」、ゆるく溶いた小麦粉を竹べらで飛ばす「撥魚児」などなど、中には曲芸まがいの作り方をするものまであります。 原料も、小麦はもちろん、カラスムギをつかった「怎麺」、高粱で作った「紅麺」、日本と同じそば粉をつかった「蕎麦麺」等々、ありとあらゆるものを材料に麺を作ります。また、調理法でいえば、スープで食べる「湯麺」、肉みそをかき混ぜて食べる「炸醤麺」、とろみのついたあんかけスープの「打鹵麺」、辣油の浮いた劇辛「担々麺」、具をのせて食べる「拌麺」、等々・・・。また、麺は高級レストランで食べる料理ではなく、朝に夕に日々食す我々の日常生活に密着した食べ物です。だから、そこには人びとの息づかいがあります。この番組では麺を訪ねる旅を「人びとと出会う旅」であり「文化と出会う旅」と捉えて取材を行っていきます。 第7話の「明日の麺名人を目指して -山西省太原市-」(山西省太市)は麺の里と言われる山西省の省都・太原には、麺作りのコックを養成する学校がある。全国から集まった16歳からの男女が、2年間、せっせと麺作りの勉強に励む。ここの卒業生は、全国の有名レストランで麺を作っている。寄宿舎での生活も含めて学生たちの生活に密着して、彼らの夢を追う姿が描かれていた。 日本では、そば、うどん、ラーメンなどががありますが中国のように麺作りのコックを養成する学校はないと思います。いろいろ参考になる番組なのでご紹介しました。 藪忠のお客様にも痛風の方がおり、ビールは飲まず焼酎でボチボチやっている方がおります。プリン体とは、動植物の細胞の核や染色体の中にある、遺伝に関わる核酸という物質の成分だそうでプリン体は食事から摂りこまれるだけではなく、新陳代謝によっても産生されるようです。そして、肝臓で代謝されて尿酸となる。食生活と深い関わりのある痛風は、血液中に「尿酸」という物質が増えてしまうことによって起こり、健康なときには液体に溶けた形で存在しているが、これが過剰に増えてしまうと針状の結晶になって体のいろいろな場所に沈着する。とくに関節などに沈着した場合に激しい痛風発作を起こすのとの事です。一昔前までは、痛風は「ぜいたく病」とも言われたように、美食や大酒が関係した病気であり、毎晩のように晩餐会を開いてぜいたくをした上流階級の人がかかる特別な病気だと考えられていた。しかし、最近では食生活が変化し、ごく一般的な病気へと変わってきたおります。
高尿酸血症、痛風患者のアルコール適量の目安は酒類別ウイスキーならダブル1杯程度、日本酒なら1合、ビール中瓶1本、焼酎お湯割り1杯、ワインはグラス2杯程度。そばをおいしく食べるのには、そこらへんが適量でしょ。 初夢には、いくつもの諸説がありました。
江戸の当時は四つの説がありました。 【1】節分の夜から立春の明け方に見る夢 当時は節分が旧年中に来てしまう事の方が多く、立春を迎えて春が立ちます。そして新春としてのお正月を迎えるということです。 だからこそ、初春ということになるのですね。 【2】大晦日の夜から元旦に見る夢 【3】元旦の夜から二日の朝に見る夢 【4】二日の夜から三日の朝に見る夢 どれが本当という訳ではありませんが、江戸中期以降に「落ち着いた二日の夜に、落ち着いて見た夢が一番ふさわしいのではないか」という事で、二日に落ち着いたらしいです。 また、この当時では「宝船売り」という七福神の乗った船を売る習慣が始まりました。 江戸っ子は良い初夢を見ようと宝船の絵を枕の下に敷いて寝たそうです。 江戸の人々の初夢に対する思い入れの強さが感じられますね。 ■正月の江戸の姿■ 江戸庶民達はお正月はたいへんのんびりとしていたそうです。 いわゆる「寝正月」というのがほとんどだったそうです。 吉原は年中無休でしたが、元旦だけは休みにしていました。 そして二日目に年令といって年始として門を開き、常連客だけが登楼することができました。 吉原の門松は、相当丈が高くできております。 松を真ん中にして竹で回りを囲んで竹の先を切り落とさず、伸ばすままにしておきました。生えるがままなので、二階の座敷から竹のさらさらという音が聞こえたそうです。 風流ですね~。 門松の竹は先が切られていますよね。 これは徳川家康が武田家との戦いの時に 「武田(竹)を斬る」ということから来たそうです。 杉浦日向子の大江戸お正月事情より | |